「コピーライター」というと、
私は中島らもや糸井重里がすぐに思い浮かぶのですが、

日本における「コピーライターのはしり」って誰だかご存じでしょうか。



それは・・・平賀源内という人。

享保13年(1728年)- 安永8年12月18日(1780年1月24日)
江戸時代の本草学者、蘭学者、(医者)、作家、発明家。

平賀源内は生涯結婚せず、妹に養子縁組させて家を継がせ、
蔵番を務めていた高松藩も病気を理由に辞職願を出し、
家と藩からはなれて様々なことに挑戦しました。

魚類図鑑、油絵、方歩計、源内焼、金唐車紙、戯作、浄瑠璃、狂文、ポルノ、平線儀、測量機、火洗布、寒暖計、朝鮮人参栽培法、毛織物製造、金山事業 ……。


「夏バテ防止の為に土用の丑の日に鰻を食べる」という風習は、
売り上げ不振に悩んだ鰻屋に請われて平賀源内が考案した、
との説が有力なんだそうです。


また、明和6年 (1769年)にはCMソングとされる、歯磨き粉「漱石膏」の作詞作曲を手がけ、安永4年(1775年)には音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけて それぞれ報酬を受けているとか。

それで、コピーライターのはしりと言われているわけですが、
気になるエピソードを一つ。





「ヘレキテル」

 当時、江戸に屁を見事に屁り分け、鶏の鳴き声や三味線の伴奏を奏でるといった「放屁男」がいた。
源内は、この男を「放屁論」で次のように評している。
「古今東西、このようなことを思いつき、工夫した人は誰もいない」と絶賛する。

さらに「放屁論後編」では「火の原理も屁の原理も同じようなもの、わしは大勢の人間の知らざることを工夫し、エレキテルを初め、今まで日本にない多くの産物を発明した。これを見て人は私を山師と言った。つらつら思うに、骨を折って苦労して非難され、酒を買って好意を尽くして損をする。……いっそエレキテルをへレキテルと名を変え、自らも放屁男の弟子になろう」。






・・・・

鎖国を行っていた当時の日本でエレキテル(静電気発生機)を紹介し、あっと言わせた源内が、「エレキテルをヘレキテルと名を変えよう」なんて言っている。
自由な発想をし、人の驚くことを楽しんで行っていた源内は、
当時はなかなか受け入れられず、世間を欺く「奇人」「変人」、私利私欲にはしる「ペテン師」などと有り難くない悪名を山ほどいただき、安永8年(1779)獄中で病死 したとのこと。
上の「放屁論後編」は、時代に縛られた無念さが、「放屁男」のコミカルさとあわさってなんとも言えない趣きです。



土用の丑の日には、(また、屁り分ける人を見た場合には)
平賀源内に思いを馳せそうです。 (´▽`)





人気ブログランキングへ

源内万華鏡