大澤真幸氏の『<世界史>の哲学』を読んでいます。
フェイスブックのほうで、その都度思ったことや覚えておきたいことをメモしたもののまとめ。
*前回のまとめはこちらです。
↓
『〈世界史〉の哲学 古代篇』を読みながら1・2(守銭奴、美と崇高)
『〈世界史〉の哲学』を読みながら 3 西洋ってなんなのか
「近代化」とは、西洋化のことです。
資本主義は特殊的で普遍的という二重性を持っていることは、キリスト教との類似の話ですでにしましたが、この二重性は、西洋という文化の一断面です。
じゃあ、西洋ってなんなのか、あらためて考えてみましょう、というあたりが面白かった。
西洋を規定する文化的源流は、ヘブライニズム(キリスト教)とヘレニズム(古代ギリシア文化)の二つです。
両者が見事に融合することで、西洋が成立します。
ヘブライニズムとヘレニズムは、出自が違いますが共通点も見られます。
どっちも、中核的人物が殺されてます。冤罪で。
キリスト教のほうは言うまでもなく、イエス。
ギリシア文化のほうは、ソクラテスです。
どちらも良い行いをしてきたのに、ひどいやり方で処刑されちゃってます。一応、民主主義的な決定での処刑なんですが、冤罪でしょ。
で、もちろん相違点もあり…
イエスの場合は、弟子たちが裏切ります。イエスが逮捕されたら、みんな逃げちゃってます。
一方、ソクラテスの弟子たちは、脱獄を勧めたり、救出のために努力します。
そして重要なのは、両者における真理の違いです。
ソクラテスは師として弟子に真理を伝えます。
弟子が真理に到達すれば、もう師はいらなくなります。
ところが、キリストはそうではない。キリストの言っている内容を理解してしまえば、キリストの存在などどうでもいい、ということにはなりません。
キリスト教の真理も普遍的には違いないのですが、それを成り立たせる絶対の条件は、キリストが人間としてこの世界に一時現れたことを認めることです。
キリストは、素晴らしいことを言うから尊敬されるわけじゃなく、そもそも存在が超越的だということです。
能力には還元できない、それ自体の超越的権威。
これは大きな違いですね。
弟子に裏切られたイエスの死のほうが、救いのない、ものすごい悲劇に見えますが、悲劇具合がすごいほど、超越的になります。
イエスは自分が裏切られることも生き返ることも知っていたんですから、あえて弟子を裏切りに仕向けたと考えられなくもない。
キリスト教の持つ二重性が、だんだん理解できてきました。面白いですねぇ。
『〈世界史〉の哲学』を読みながら 4 カエサルとイエスの共通点
「ブルータス、お前もか」は、自分を裏切った暗殺団の中に信頼していたブルータスがいたことを知ったローマの英雄カエサルの言葉です。
何故、殺害されたのでしょうか?
当時、共和制だったローマで数々の軍功を上げ、飛ぶ鳥落とす勢いのカエサルが脅威だったからです。
カエサルに権力が集中するのを恐れた人々が、共和制を取り戻すべく、暗殺したのです。
カエサルは死にました。
ところが、この暗殺をきっかけとして、帝政が決定的になってしまいました。
具体的な体としてはカエサルは死に、その代わり「皇帝(カエサル)」という一般名詞となって君臨することになったんです。
これは、イエスが殺害されたことによって抽象的な存在となり、普遍化したのと似ています。
興味深いですね。
ローマは帝国化したあとにキリスト教を国教として採用します。
これによって、政治的にもキリスト教とヘレニズムの伝統が融合するんですね。
学生の頃、世界史の授業が全然面白くなくて苦手でしたが、こうやって紐解いていくのは本当に面白い。
あらためて勉強したいです。
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『〈世界史〉の哲学 古代篇』を読みながら1・2(守銭奴、美と崇高)
『〈世界史〉の哲学』を読みながら 3 西洋ってなんなのか「近代化」とは、西洋化のことです。
資本主義は特殊的で普遍的という二重性を持っていることは、キリスト教との類似の話ですでにしましたが、この二重性は、西洋という文化の一断面です。
じゃあ、西洋ってなんなのか、あらためて考えてみましょう、というあたりが面白かった。
西洋を規定する文化的源流は、ヘブライニズム(キリスト教)とヘレニズム(古代ギリシア文化)の二つです。
両者が見事に融合することで、西洋が成立します。
ヘブライニズムとヘレニズムは、出自が違いますが共通点も見られます。
どっちも、中核的人物が殺されてます。冤罪で。
キリスト教のほうは言うまでもなく、イエス。
ギリシア文化のほうは、ソクラテスです。
どちらも良い行いをしてきたのに、ひどいやり方で処刑されちゃってます。一応、民主主義的な決定での処刑なんですが、冤罪でしょ。
で、もちろん相違点もあり…
イエスの場合は、弟子たちが裏切ります。イエスが逮捕されたら、みんな逃げちゃってます。
一方、ソクラテスの弟子たちは、脱獄を勧めたり、救出のために努力します。
そして重要なのは、両者における真理の違いです。
ソクラテスは師として弟子に真理を伝えます。
弟子が真理に到達すれば、もう師はいらなくなります。
ところが、キリストはそうではない。キリストの言っている内容を理解してしまえば、キリストの存在などどうでもいい、ということにはなりません。
キリスト教の真理も普遍的には違いないのですが、それを成り立たせる絶対の条件は、キリストが人間としてこの世界に一時現れたことを認めることです。
キリスト教徒は、まずは、キリストが人間(イエス)として現前しているという事実を信仰しなくてはならない。キリストの言葉への信仰は、その後にやってくるのである。
キリストは、素晴らしいことを言うから尊敬されるわけじゃなく、そもそも存在が超越的だということです。
能力には還元できない、それ自体の超越的権威。
これは大きな違いですね。
弟子に裏切られたイエスの死のほうが、救いのない、ものすごい悲劇に見えますが、悲劇具合がすごいほど、超越的になります。
イエスは自分が裏切られることも生き返ることも知っていたんですから、あえて弟子を裏切りに仕向けたと考えられなくもない。
キリスト教の持つ二重性が、だんだん理解できてきました。面白いですねぇ。
『〈世界史〉の哲学』を読みながら 4 カエサルとイエスの共通点「ブルータス、お前もか」は、自分を裏切った暗殺団の中に信頼していたブルータスがいたことを知ったローマの英雄カエサルの言葉です。
何故、殺害されたのでしょうか?
当時、共和制だったローマで数々の軍功を上げ、飛ぶ鳥落とす勢いのカエサルが脅威だったからです。
カエサルに権力が集中するのを恐れた人々が、共和制を取り戻すべく、暗殺したのです。
カエサルは死にました。
ところが、この暗殺をきっかけとして、帝政が決定的になってしまいました。
具体的な体としてはカエサルは死に、その代わり「皇帝(カエサル)」という一般名詞となって君臨することになったんです。
これは、イエスが殺害されたことによって抽象的な存在となり、普遍化したのと似ています。
興味深いですね。
ローマは帝国化したあとにキリスト教を国教として採用します。
これによって、政治的にもキリスト教とヘレニズムの伝統が融合するんですね。
学生の頃、世界史の授業が全然面白くなくて苦手でしたが、こうやって紐解いていくのは本当に面白い。
あらためて勉強したいです。
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