頭をカラッポにしたい欲求が強くなって、どうにもならなくなったんである。

仕事柄、大量インプットが必要だ。
たとえば、1冊の本の原稿を書くには10冊は本を読むし、取材は10時間くらいはするし、それ以外にもリサーチをたくさんする。資料の山の中で、とにかく情報を詰め込むっていうことをする。

趣味も読書、映画鑑賞、アート鑑賞だったりするから、毎日積極的にインプットしていることになる。

新聞やネットニュースなども見るし。

それに対して、アウトプットが全然足りないと思う。本当はもっと吐き出したいんだけど、インプットの時間に追われてしまっている。そりゃあ、アウトプットするのが仕事なんだからちょっとはやっているのだが、インプットとの差分がどんどん溜まっていくような感じ。

それがすごく気持ち悪いのだ。やっぱり、何事も溜め込むのは良くないんだと思う。

趣味で読む本のことを、読み終わったらあとでまとめてブログに書こう、なんて思っていると、なかなかそんな日は来ない。
きちんと紹介しながら感想を書くのは、要約したり引用したり、考えなおしたりでけっこう大変。やる気はあるんだけど、今度…と思っているうちにフェードアウトしてしまう。そして、気持ち悪さが溜まっていく。

だから、読んでいるそばからアウトプットするやり方をはじめた(*1)。これなら、それほど時間がかからないうえ、アウトプットの量が増える。
おかげで、少しスッキリしてきた。

でも、まだモヤモヤしてる。次のこと次のこと、となんだか追われまくっている感じがしているし、リラックスできない。
頭をカラッポにしたい欲求がある。

そこで、ついに瞑想をはじめることにしたのだ。

瞑想は頭を、心を整理するのにいいと聞く。

忙しい現代人ほど、瞑想をやった方がいいと。

瞑想といえば、昨年、イカスヒトTVにチベット仏教僧侶のバリー・カーズィンさんに出ていただいたとき(*2)、番組中に、瞑想してみましょうと言って、演者全員で瞑想したことがある。

生放送である。

私は、見ている人が放送事故だと思うのではないかと気が気でなかった。無言で誰も動かない絵・・・。

とてもではないが集中できなかった。え?まだやる?まだ大丈夫?そろそろ目開ける?まだ?ホントに?いま何分たった?・・・みたいな。

しかし、たとえ生放送でも動ずることなく、瞑想できる人に憧れたのである。

で、ついに始めることにした。
何か始めるとき、関連の本をたくさん購入しようとするのが私の悪いところであり、いいところでもある。

ひととおりの知識が欲しいのだ。瞑想関係の本を何冊か購入、早速読む。けっこういろんなやり方がある。

今朝は、『Yogaではじめる瞑想入門』(綿本彰 新星出版社)のCDを聞きながら瞑想にチャレンジ。
誘導音声が入っているCDを聞きながらであれば、強制的に一定時間の瞑想ができるだろうと思ったからだ。


Yogaではじめる瞑想入門
綿本 彰
新星出版社
2006-03



まず、トラック1の呼吸法。

この本では、難しいこと考えず、気持ちのいい呼吸をすればすればよいというスタンスらしい。

呪文みたいのものもなく、何秒で吐くとか、息を止めるとかいったルールもない。それはそれで、不安だ。これでいいのかなあ、と。

あぐらをかいて座り、一応、誘導に従ってイメージをしながら呼吸をする。きれいな空気を吸い込み、汚れた空気を吐き出す。スーハー。


・・・そういえば、この部屋って換気したほうがいいのかな?

突然、「あ、いま書いてる本にこういうこと入れよう」などと思いつく。この項目とあの項目と・・・、いかんいかん、瞑想中だった。大自然のイメージをする。

突如CDが、両手を下腹部へ持っていけと言う。


なに?なにをする気だ。


熱いマグマがたぎっているのを感じろとか言う。


エロい。


瞑想できない。


さらに、こうなったら、瞑想CDがエロいと思ったということを日記に書こうと考える。瞑想日記というより迷走日記だな、ぷぷぷと思う。

邪念だらけである。



*1 『聖書男』を読みながら

*2 イカスヒトTV 番外編「心の訓練」ゲスト:バリー・カーズィン(チベット仏教僧侶)