今日はなんだか、CDの聞こえ方が違った。

誘導の声が、やたらと急いでいるように感じる。こんなに早かったかなあ。
なんか、ちょっとうるさい。

いつもと同じ環境で聞いているのに、不思議だ。

一瞬、自分がデイダラボッチになって、はるか下の自分の下半身を見下ろした感じがしたのに、急がされているような声が気になって、イメージは消えてしまった。

今日の私の感覚のスピードと、CDのスピードが合わなかった、ということなんだろうか。

そろそろCDなしで瞑想してもいいのかな?(やめどきがわからなかったりするので、まだちょっと不安。)



今日の「SWITCHインタビュー 達人達」(Eテレ)で、思想家の内田樹と世阿弥の子孫である能楽師・観世清和が対談していた。

SWITCHインタビュー内田樹×観世



観世氏が内田樹に見せた『羽衣』の「序の舞」は、ビックリするほど動きが遅い。遅いっていうか、ほんのちょっとしか足を上げない。微妙な動き。

遅っ!まったく進まないじゃんって言いたくなる。現代人の感覚では、「無理」なスピードだ。

でも。

内田樹は「ほんのちょっとの動きなのに、あれによって空間に重みが出る。ゆっくりした動きだからこそ、空間に粘り気のようなものが生まれている」と言っていた。観世氏は「インターネットですぐに情報のやりとりができたり、飛行機でA地点からB地点へすぐに移動できるという現代とは真逆の世界です」と話す。

能楽は、鎮魂の芸術である。そして祝福の芸術である。

死者を自分の体に降りさせて、語らせる。世界に祝福を送る。

鎮魂や祝福を急いでいいはずがない。いや、人生そのものも、そんなに急いでどうするんだ、という気がする。


人生は短いのだから、急がなきゃ、というのも一理。

人生は短いのだから、ゆっくりしなきゃ、というのも本当だと思う。