今日は移動時間に瞑想をやってみた。

いま『ブッダの瞑想法 ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』(地橋秀雄 春秋社)を読んでいるので、ヴィパッサナー瞑想を試してみたいと思って。
ヴィパッサナー瞑想は、原始仏教の瞑想法だ。

「現在の瞬間の事実に気づく」というのが本義で、今この瞬間に自分の心と体が何を経験しているかに気づき、ありのままに観察していくのだという。

一切の思考や判断を挟まず、見たものを「見た」、聞いたものを「聞いた」、感じたものを「感じた」と一つ一つ言葉で確認(ラベリング)しながら、気づいていくという「サティ」の訓練が中心になる。


体の動きに気づくことから始めるので、静かに坐って目を閉じて・・・という瞑想をするのではなく、歩きながらとか普段の生活の中で行う。

「右足、左足、右足・・・、鳥の声を聞いた、肩を上げてバッグを肩にかけなおした、信号を見た、止まった・・・」というように自分の体の動きをいちいち感じて、言葉でラベルをつけていくわけだ。

静かに一定の時間坐って行うものではないので、時間がなくても、何の準備をしなくても、思い立ったら今すぐできる。

今日は少し長い時間バスに乗って、ヒマだった(とは言え、いつもやっているような瞑想を落ち着いてやることはできない)ので、その移動時間中にやってみたのである。


「頬を右手で掻いた、あくびをした、髪の毛を耳にかけた、まばたきをした、運転手を見た、窓に目をやった・・・」


慣れていないためか、やけに緊張してしまい、力が入っている。

呼吸が浅くなっているのを感じる。

いちいち言葉にするのは大変だ。

1分くらいで疲れてやめてしまった。簡単なようで難しい。

本にはこうある。

多くの初心者にとってヴィパッサナー瞑想が難しく感じられるのは、適切なラベリングを瞬間的に選びだせないからです。思い込みや先入観を排除した正確な知覚、エゴ性を離れた客観的な認識、本質を見抜く洞察力、豊富なボキャブラリー、正確な言葉の使い方等々、総合的な力が必要なのです。



瞑想というより・・・「訓練」って感じ。気持ちよくはない。

でも、この訓練をした間のことは、ものすごく鮮やかに、ありありと思いだすことができる。そのとき見た景色や体感覚を。バスの運転手の顔も思い出せる。写真みたい。

普段は、知らない人の顔を覚えているということはまずないので、ビックリだ。

いつもいかにちゃんと知覚していないか、ということにあらためて気づかされた。