流行っているらしいのに後押しされ、頭をカラッポにしたい欲求からはじめた瞑想も1ヶ月がたち、思った以上の効果を実感しているところ。

こうして日々、「瞑想日記」を書いて記録しているわけだが、はたから見ていると心配な場合もあるようだ。

母親から電話があり、年末に行く旅行のことなど話していたのだが、

「久しぶりに晶子のブログ見たけど、瞑想って何?」

と聞かれた。

「何って・・・。瞑想だよ、目をつぶって、呼吸をして・・・」

「本で?」

「ま、まぁ、周囲の人から教えてもらったりもしたけど・・・、基本は本を読んでやってる」

「本を書くから、そのために瞑想しているのかっていう意味よ」

「ああ。瞑想の本は書きたいけど、まだ依頼がないので・・・」


ん?

心配されてる?


いったいぜんたい、どうして急に瞑想なんてはじめたのか、ということらしい。

何を言われているのかとっさに理解できなかったため、まったく要領の得ない回答になってしまった。電話を切ってから、「ああ、心配されているのか」と思った。


さらに。

友人が「この間の忘年会で、誰々さんが『小川さんって、最近瞑想ばかりやってみるみたいだけど大丈夫?』って言ってたよ」と教えてくれた。

ここでも心配されている・・・


瞑想って心配になるんですかね。
なにかよほど悩みがあるのかとか、ヘンな宗教にハマっているんじゃないかとか、そういう心配なんでしょうかね。

これはまた面白い。

実際、心配したほうがいいような人も存在していると思う。調査してみたい。