20140511トークセッション


本日15:00〜、丸善丸の内本店にて社会学者・橋爪大三郎さんの『国家緊急権』刊行記念トークセッションがありました。




社会学者の大澤真幸さんと、憲法学者の木村草太さんとのトークセッションで、「憲法を考える」というタイトルがついていました。
これは面白そう!ということで、『国家緊急権』は未読ですが参加してまいりました。
まず、国家緊急権とは何でしょうか。

耳慣れない言葉です。私は今日まで知りませんでした。

国家緊急権とは、
緊急時に、政府が必要な行動をとることをいいます。
平時の法秩序(憲法や法律)から、逸脱しているのかと言えば、その通り。憲法や法秩序にあえて違反してでも、憲法や法秩序を守ろうとするアクションをとることをいいます。(『国家緊急権』より)


憲法について学んでいる人は当然知っているものですが、私たち一般人はあまり知りません。

それは、けっこう難しい話題だから。教科書にも出てこない。

でも、集団的自衛権とか憲法改正とか騒がれている今、「少なくとも、国家緊急権について言葉や概念を国民が知ることが必要である。そうでなければ議論ができない」というのが橋爪先生の主張です。

平時のときは、いいんです。
憲法、法律を守らなければならない、ということで。

でも、とんでもない緊急事態が起きたとき、「憲法に違反するからできない」と言っていては、憲法違反よりももっと大きなダメージを受けるかもしれない。

だから、憲法にうたっているような国民の理想を守るために、憲法に違反するアクションをとるのが国家緊急権であるわけです。

本の帯に「憲法より大事なものがある」という刺激的コピーがありますが、そういう意味です。


国家緊急権を機能させるには、(期間限定で)政府の意思決定に一元的に従うことが必要になります。
個々の判断で行動していては、機能しません。

この難しさ。

このあたりが今日のトークセッションでも中心になっていました。

興味深いと思った部分を、ノートの記録をもとに再現してみます(不正確な表現もあると思いますがご了承ください)。

民族性と法律への姿勢

大澤:国家緊急権と憲法の両方が機能しなくてはならないわけですけど、これは独特のエートス、文化を持っていないと難しいという気がするんです。
民主主義というのは、権力の分散、多元的であることを前提にしています。それに対し、国家緊急権の場合は一元的である必要があります。
いろいろな国を見てみますと、わりとどちらかに偏っていると思います。
中国はどちらかというと国家緊急権的で、ある程度民主主義を犠牲にしていますよね。
日本はどちらかというと多元的ですよね?

橋爪:日本人は法律に従うことがあまり得意ではありませんね。もともと、ムラ社会で自治を行っていたからでしょう。自分が立法に関われば、そのルールには厳しく規定されますが、自分が立法にかかわっていない法律に従うことに抵抗がある。

たとえば古代ローマには、きっちりしたシステムのローマ法がありました。元老院はありますが、緊急時にはリーダーに判断を委ね、緊急時が終わったときに裁判でそのリーダーの判断について検証が行われていました。

ユダヤ人も、神との契約だから法律に従うという考え方です。法律を守ることが目的になっている部分もある。
これに反対したのがイエスです。
「必要は行為を正当化する。立法のために人間があるのではなく、人間のために立法がある」
つまり、国家緊急権的考え方もヨーロッパには根付いています。

しかし、日本ではこういった「憲法の外側にあるカルチャー、想い」の部分が希薄である気がします。


橋爪先生は、古代ローマのように、緊急時には国家緊急権を発動させ、緊急時が終わったらそのリーダーの政治責任、刑事責任を追及するのがいいという主張でした。

憲法を変えて合法にしてしまうのは危険だと。

合法になってしまったら、権力者が権力を濫用するおそれがあります。


日本は憲法制定権力を行使していないのか

また、憲法制定権力の話も興味深かったです。
大澤真幸先生がファシリテーター役なのですが、質問がわかりやすくて面白い。

大澤:国家緊急権は、憲法制定権力と同じように考えられますね。憲法をつくるという権力は、憲法の外側にあるわけです。その権力は、いったん憲法ができてしまえば二度と発動しないというのではなく、緊急時には発動すると考えればいい。
ただ、日本の場合、憲法を作るときに憲法制定権力を使っていないですよね。使ったのは占領軍です。
だから、憲法の精神に立ち返るといっても、そういう感覚がそもそも希薄なのではないでしょうか。

木村:しかし、憲法制定権力をGHQに行使させることを決定した権力はあるはずです。

大澤:敗戦状態ですから、受け入れざるをえなかったのでは?

橋爪:確かに、GHQが上位にあったからややこしいですが、GHQが憲法を無理やり押し付けたわけではありません。合意と支持を得られるかたちで作ったわけで、大まかにいってよくできている憲法で今日まで満足して使っています。




ほかにも面白い議論がたくさんありました。

『国家緊急権』をしっかり読んで、また記事にしたいと思います。


ともかく、集団的自衛権の是非等の前に、そもそもの憲法のシステムを考えること=国家緊急権という概念を知り、考えることがとても重要だということがわかりました!

そして、選挙のときには、首相が、政府が「緊急時には法的根拠もないのに、国民を従える必要がある」ということを理解して選ぶことが必要なのだなと。