先週発売されたばかりの『ラクに書けて、もっと伝わる! 文章上達トレーニング45 』から、今日は「文体・リズム」トレーニングの一つ、「作家にのりうつって書く」をご紹介します。

短編小説を途中まで読んで、その続きを書きます。続きなので、それまでの文体と合っている必要がありますね。

短編小説を途中まで読んで、その続きを書きます。続きなので、それまでの文体と合っている必要がありますね。
一人称は私か僕か、ですます調かである調か、句読点はどういうタイミングで打っているかなどを意識して読み、同じように書いてみましょう。
本書の中では、トレーニングとして夢野久作の「縊死体」を途中まで読んで続きを書くことにしています。
ここでは、本書未掲載の原稿をご紹介!
実はもともとは安部公房の「睡眠誘導術」をテキストにして、続きを書くことにしていました。
しかし、残念ながら「ちょっと長すぎる・・・」ということで、ちょうどいいサイズの「縊死体」に変更したのです。
「睡眠誘導術」も面白いですし、文体もとても読みやすいのでぜひやってみてくださいね☆
↓
「睡眠誘導術 安部公房」
眠られぬ夜のために、とっておきの睡眠誘導術を伝授するとしよう。
まず、アメリカの西部劇に出てくる、なるべくありふれた場面を思い浮かべていただきたい。駅馬車の衝撃に都合がよさそうな、けわしい峡谷つきの大平原が望ましい。もっともなぜ西部劇でなければならないのか、理由はよく分からない。あるいは髷物の時代劇でも同じことかもしれないが、経験上、やはり西部劇のほうがいいようだ。筋も場面も、まことに類型的で、想像するのにほとんど努力を要しないせいかもしれない。
さて、その大平原を横切っている一本の白い道。やがて道は断崖にはばまれ、深い割目に吸い込まれる。危険だが廻り道はできないという、おあつらえの場所である。君は今インディアンだ。その断崖の上の、何処か適当な岩陰を見つけて、じっと身をひそめよう。天頂には、浜辺に打ち上げられたクラゲのように、ふるえつづけている白い太陽。はためく風は、透明な大天幕だ。発育の悪い、赤茶けた繁み。砂色に焦げた、薄い草むら。お望みならば、ウェスタンの伴奏を流してもいい。
やがて一羽のコンドルが、なにかの危険を告げるように、天空高くまい上がる。つづいて遠く道ぞいに、一本の帯状になってたなびく砂ぼこり。例の制服に身をかためた騎兵の一隊である。あせってはいけない。連中が全員、谷間に入り込んでしまうまで待て。狭い谷間の中では、一列縦隊をとるしかなく、急な後退も散開も不可能だ。そこを見はからって、一人一人ねらい撃ちにすればいい。君は名だたる弓の名手、ねらった的を外す気づかいはないのである。
さあ、矢をはなて。空気を引き裂く弦の音。矢は見えないが、命中の手ごたえはあった。胸をおさえ、ネッカチーフをひきむしりながら、映画の場面そっくりに落馬していく白人の兵士。そら次の矢だ。こんどの奴は帽子を飛ばした。つんのめって、馬の首を抱きかかえる。ゆっくり見きわめてから、三本目をつがえよう。敵の数に不足はないし、矢の手持ちもたっぷりだ。
むろん条件によって違うが、調子さえよければ、四、五人目から効果が現れることがある。二十人を超えることはめったにない。急速で、しかも実になめらかな眠りへの移行。弓をつがえた腕から突然力が抜け、あたりの光景が見る見る凍って、色あせる。そのまま君は深い眠りに落ちていく。苦しまぎれに、千から数字を逆に数えてみたり、無理に通い慣れた道順をなぞってみたりする時のような、あの不眠との闘いからくる、苛立たしい疲労感などまったく認められない。一見殺伐に見える、岩陰からの狙撃ごっこが、これほどの鎮静作用を持っているとは意外に思われるかもしれないが、事実なのだから仕方ないだろう。殺人と、殺人ごっことは、互いに相反する別々の事柄なのかもしれないのだ。とすると、たとえば最近のモデル・ガン取締の方針など、当局の意図に反して、むしろ大衆の狂暴化を促進することになりはしまいか。
それはともかく、不都合なことに、このせっかくの安眠術が今のぼくにはまったく役立ってくれないのである。ある時、つがえた矢の先端が、くるりとU字型に曲がってこちらを向いてしまったのだ。致命的だった。じつを言うと、ぼくには先端恐怖症の傾向がある。そばで編み物をされると、編み棒の先が眼にささりそうで我慢できなくなるし、電車で隣に掛けた客の本の角が耐えられず、つい席を立ってしまうことさえあるほどだ。一度、矢の先が気になりだすと、もういけない。いくら新しい矢につがえなおしてみても、つがえなおした端から、くるりと曲がってしまうのだ。鎮静どころか、ますます苛立ち、眠りは遠ざかる。
そこで弓をライフルに替えてみた。鋼鉄のチューブは、さすがに矢よりは丈夫だった。替えてからしばらくは、なんとか持ちこたえてくれた。しかし、情況は同じことで、銃身になんとなく歪力がかかり、もう以前のようには安定してくれない。催眠効果と、銃身を曲げまいとする努力がせめぎ合い、倒す相手の数も次第に増えていく。そしてある日、その銃身もぐにゃりと曲がってこちらを向いてしまったのである。
とりあえずは先端恐怖症を治すのが先決だ。だが、神経科の医者の助言によれば、なによりもまずよく眠ることだと言う。それはそうだろう。よく眠るためには、よく眠れればいいに決まっている。何か先端のない、球形の武器でもないものだろうか。
(前半部分ここまで。この先を、安部公房になったつもりで書いてみましょう!)
●トレーニング例
ぼくは、武器について考えはじめ、まったく眠れなくなってしまった。病院の帰りに本屋に立ち寄った時、さまざまな武器について書かれている図鑑が、ふと目に入った。なぜ今まで気付かなかったのだろうか、まったく不思議でならない。小さなピンを引き抜き、連中に投げつける—- 手榴弾である。この、先端のない球形の武器に気付いたとき、久しぶりに平穏な気持ちになることができた。これで眠ることができる。
夜が来た。灯りを消して、白いベッドの中にもぐりこんだ。大平原に、騎兵の一隊があらわれた……。はやる気持ちをおさえ、連中が一列に並ぶのを待つ。あせることはない。ぼくが手にしているのは、非常に殺傷力の高い爆弾なのだから。
今だ。ピンを引き抜き、連中に向かって投げ、身をかがめた。ドカーンという激しい音とともに、恐ろしいほどの砂埃が舞う。人も馬も飛ばされ、断崖にたたきつけられ、バウンドして地面に落ちる。馬の鳴き声だけが、聞こえたような気がした。あまりにも一瞬のことだ。何人いたかわからない。騎兵隊は全員がこなごなになってしまった。そしてまた、辺りには静けさが戻ってきた。
静かだ。チッチッチッチ……という、ぼくの枕元にある時計が時を刻む音だけが聞こえている。
(ここまで)
いかがでしたか?
漢字とひらがなのバランス、短文の中に少し多めに読点を入れるあたり、とても参考になりますね。
トレーニング例の文章は私の創作です。本当の安部公房の文章は、すごいです。絶対にこんなの書けない、と恐れおののき(?)ました。続きがどうなっているのか気になる方は、ぜひ実際に読んでみてください。
短編集『笑う月』(安部公房 新潮文庫)の中におさめられています。
「作家にのりうつって書く」を解説しているのはコチラ。
『文章上達トレーニング45』 P.102-105
*フェイスブックページ「文章上達トレーニング45」にて、本書の内容紹介や載せきれなかったトレーニング等情報を発信しています。ぜひ「いいね!」してくださいね。
本書の中では、トレーニングとして夢野久作の「縊死体」を途中まで読んで続きを書くことにしています。
ここでは、本書未掲載の原稿をご紹介!
実はもともとは安部公房の「睡眠誘導術」をテキストにして、続きを書くことにしていました。
しかし、残念ながら「ちょっと長すぎる・・・」ということで、ちょうどいいサイズの「縊死体」に変更したのです。
「睡眠誘導術」も面白いですし、文体もとても読みやすいのでぜひやってみてくださいね☆
↓
「睡眠誘導術 安部公房」
眠られぬ夜のために、とっておきの睡眠誘導術を伝授するとしよう。
まず、アメリカの西部劇に出てくる、なるべくありふれた場面を思い浮かべていただきたい。駅馬車の衝撃に都合がよさそうな、けわしい峡谷つきの大平原が望ましい。もっともなぜ西部劇でなければならないのか、理由はよく分からない。あるいは髷物の時代劇でも同じことかもしれないが、経験上、やはり西部劇のほうがいいようだ。筋も場面も、まことに類型的で、想像するのにほとんど努力を要しないせいかもしれない。
さて、その大平原を横切っている一本の白い道。やがて道は断崖にはばまれ、深い割目に吸い込まれる。危険だが廻り道はできないという、おあつらえの場所である。君は今インディアンだ。その断崖の上の、何処か適当な岩陰を見つけて、じっと身をひそめよう。天頂には、浜辺に打ち上げられたクラゲのように、ふるえつづけている白い太陽。はためく風は、透明な大天幕だ。発育の悪い、赤茶けた繁み。砂色に焦げた、薄い草むら。お望みならば、ウェスタンの伴奏を流してもいい。
やがて一羽のコンドルが、なにかの危険を告げるように、天空高くまい上がる。つづいて遠く道ぞいに、一本の帯状になってたなびく砂ぼこり。例の制服に身をかためた騎兵の一隊である。あせってはいけない。連中が全員、谷間に入り込んでしまうまで待て。狭い谷間の中では、一列縦隊をとるしかなく、急な後退も散開も不可能だ。そこを見はからって、一人一人ねらい撃ちにすればいい。君は名だたる弓の名手、ねらった的を外す気づかいはないのである。
さあ、矢をはなて。空気を引き裂く弦の音。矢は見えないが、命中の手ごたえはあった。胸をおさえ、ネッカチーフをひきむしりながら、映画の場面そっくりに落馬していく白人の兵士。そら次の矢だ。こんどの奴は帽子を飛ばした。つんのめって、馬の首を抱きかかえる。ゆっくり見きわめてから、三本目をつがえよう。敵の数に不足はないし、矢の手持ちもたっぷりだ。
むろん条件によって違うが、調子さえよければ、四、五人目から効果が現れることがある。二十人を超えることはめったにない。急速で、しかも実になめらかな眠りへの移行。弓をつがえた腕から突然力が抜け、あたりの光景が見る見る凍って、色あせる。そのまま君は深い眠りに落ちていく。苦しまぎれに、千から数字を逆に数えてみたり、無理に通い慣れた道順をなぞってみたりする時のような、あの不眠との闘いからくる、苛立たしい疲労感などまったく認められない。一見殺伐に見える、岩陰からの狙撃ごっこが、これほどの鎮静作用を持っているとは意外に思われるかもしれないが、事実なのだから仕方ないだろう。殺人と、殺人ごっことは、互いに相反する別々の事柄なのかもしれないのだ。とすると、たとえば最近のモデル・ガン取締の方針など、当局の意図に反して、むしろ大衆の狂暴化を促進することになりはしまいか。
それはともかく、不都合なことに、このせっかくの安眠術が今のぼくにはまったく役立ってくれないのである。ある時、つがえた矢の先端が、くるりとU字型に曲がってこちらを向いてしまったのだ。致命的だった。じつを言うと、ぼくには先端恐怖症の傾向がある。そばで編み物をされると、編み棒の先が眼にささりそうで我慢できなくなるし、電車で隣に掛けた客の本の角が耐えられず、つい席を立ってしまうことさえあるほどだ。一度、矢の先が気になりだすと、もういけない。いくら新しい矢につがえなおしてみても、つがえなおした端から、くるりと曲がってしまうのだ。鎮静どころか、ますます苛立ち、眠りは遠ざかる。
そこで弓をライフルに替えてみた。鋼鉄のチューブは、さすがに矢よりは丈夫だった。替えてからしばらくは、なんとか持ちこたえてくれた。しかし、情況は同じことで、銃身になんとなく歪力がかかり、もう以前のようには安定してくれない。催眠効果と、銃身を曲げまいとする努力がせめぎ合い、倒す相手の数も次第に増えていく。そしてある日、その銃身もぐにゃりと曲がってこちらを向いてしまったのである。
とりあえずは先端恐怖症を治すのが先決だ。だが、神経科の医者の助言によれば、なによりもまずよく眠ることだと言う。それはそうだろう。よく眠るためには、よく眠れればいいに決まっている。何か先端のない、球形の武器でもないものだろうか。
(前半部分ここまで。この先を、安部公房になったつもりで書いてみましょう!)
●トレーニング例
ぼくは、武器について考えはじめ、まったく眠れなくなってしまった。病院の帰りに本屋に立ち寄った時、さまざまな武器について書かれている図鑑が、ふと目に入った。なぜ今まで気付かなかったのだろうか、まったく不思議でならない。小さなピンを引き抜き、連中に投げつける—- 手榴弾である。この、先端のない球形の武器に気付いたとき、久しぶりに平穏な気持ちになることができた。これで眠ることができる。
夜が来た。灯りを消して、白いベッドの中にもぐりこんだ。大平原に、騎兵の一隊があらわれた……。はやる気持ちをおさえ、連中が一列に並ぶのを待つ。あせることはない。ぼくが手にしているのは、非常に殺傷力の高い爆弾なのだから。
今だ。ピンを引き抜き、連中に向かって投げ、身をかがめた。ドカーンという激しい音とともに、恐ろしいほどの砂埃が舞う。人も馬も飛ばされ、断崖にたたきつけられ、バウンドして地面に落ちる。馬の鳴き声だけが、聞こえたような気がした。あまりにも一瞬のことだ。何人いたかわからない。騎兵隊は全員がこなごなになってしまった。そしてまた、辺りには静けさが戻ってきた。
静かだ。チッチッチッチ……という、ぼくの枕元にある時計が時を刻む音だけが聞こえている。
(ここまで)
いかがでしたか?
漢字とひらがなのバランス、短文の中に少し多めに読点を入れるあたり、とても参考になりますね。
トレーニング例の文章は私の創作です。本当の安部公房の文章は、すごいです。絶対にこんなの書けない、と恐れおののき(?)ました。続きがどうなっているのか気になる方は、ぜひ実際に読んでみてください。
短編集『笑う月』(安部公房 新潮文庫)の中におさめられています。
「作家にのりうつって書く」を解説しているのはコチラ。
『文章上達トレーニング45』 P.102-105
*フェイスブックページ「文章上達トレーニング45」にて、本書の内容紹介や載せきれなかったトレーニング等情報を発信しています。ぜひ「いいね!」してくださいね。