「村上隆の五百羅漢図展」、行ってきました。
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すごかった。

本当にすごかった。

村上隆と同時代に生きていることを、うれしいと思いました。

村上隆は昔から、「歴史の中に自分を位置づける」というようなことを言っています。

まさに。狩野一信ら日本画の中で繰り返し描かれてきた羅漢図の系譜を受け継いで、現代のポップアートにのせています。
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ものすごい迫力を感じるのは、そこに村上隆とカイカイキキだけが存在しているわけではなく、歴史が、狩野一信らが一心不乱に描いたときの念のようなものが、重層的に存在しているからなのだと思う。

さて、この展覧会の最後にある作品は「馬鹿」というもの(2012年の作品)。
村上隆が日本の現代美術界にモノ申しています。
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(前略)
でもなんか僕はこの日本の現代美術界が嫌いです。作品も若い連中の進化がまったく見られない。僕の学生だった頃の構造不勉強を盾にしたひぼう中傷がいまだにばっこしていて世界に飛び出せるだけの作品をつくってる作家の少なさそして理解力の弱さに憤る日々です。作品を造る作家をどのようにトレーニングしてゆくか?スポーツ人体工学のようにもしくは高山にこもって僧侶の修行のようにおのれを発見し鍛錬せねばなりません。自らの恥を知り節度を学び社会内での自覚を知らねばならないのに甘えと無責任と不勉強とバカの温床地なママなのが日本の現代美術業界です。バカならバカなりの身の程を知ればいいのにいろんなとこで言ってることですが日本の美大での現代美術教育の情報源ってこの美術手帖の小さなコラム程度だろうし原書に目を通しても全然いないと思うのです。芸術な対話を促進させるコミュニケーションツールの極致です。極致なのです!日本の現代美術業界は僕が知りはじめた頃の20年前からかわれなかった。美術大学という産業の喰い者となった学生達がその構造に気がつき絶望したり自らが先生の立場となって弱肉強食の食物連鎖のTOPに立とうとしてきたただそれだけのための構造悪によって変化できなかったのです。僕はそういう日本美術大学+現代美術業界をケイハツして1人でも良質なアーチストを世界に出したいと思うのです。


構造悪によって変化できない。それはあらゆる業界で、起こってしまうことなのでしょう。

出版業界にしても、電子書籍に本気で向かい合えないのは、これまで機能してきた再販制度や取次による物流システムといった構造にがんじがらめになっているというのがあると思う。でも、構造にからめとられて変化できないままいれば、それこそ滅びてしまう。

どうすれば構造悪から抜け出られるのだろうか?

そのヒントになるのは、村上隆がいつも言っている「歴史の中に自分を位置づける」っていうことなのではないでしょうか。

自分がどういう歴史の流れの中にあって、いまどういう時代を生きようとしているのか、ということです。
私たちはたいてい、直近の、短すぎる文脈でものごとを考えています。「昨日までこうだったから、こう。」「10年前からこういうものだったから、こう。」

そうではなくて、もっと大きな時間の流れ、そして空間の中の、どこにいるのかを考えるのです。

そうすれば、がんじがらめのように見えていた構造から、抜け出る方法が見つかるのではないかなと思いました。