小学生の頃、「暗いヤツ」とよく言われていた。
見た目が地味であるうえ、引っ込み思案で本ばかり読んでいるからだ。仲のいい子とはおしゃべりをするけれど、集団の中では積極的に「聞いて聞いて!」という感じになれない。
見た目が地味であるうえ、引っ込み思案で本ばかり読んでいるからだ。仲のいい子とはおしゃべりをするけれど、集団の中では積極的に「聞いて聞いて!」という感じになれない。
これは生まれ持った性質なんだろう。人に気軽に話しかけたり、大きな声ではしゃいだりすることがどうも苦手なのだ。だからといって物事をネガティブにとらえているわけではなく、物事の良い面を見つけ、楽しむことは得意だった。一人でいても、面白いものは面白い。
だが、とくに1980年代は「みんな明るくあるべき」のような圧があったように思う。積極的で、冗談を言って周りを笑わせるような人こそスターだ。小学校の教室の壁に貼られた、クラスメイトたちの自己紹介文にはやたらと「性格は、明るいです」「明るいほうです」と書かれていた。「ほうです」って。ちょっと無理していないか。
そんな中で「暗いヤツ」と正面切って言われるのは、まぁまぁキツイ。もっと明るく振る舞ったほうがいいんだろうなと思った。
それで、瞬間的に無理してみたことは何度もある。それで何か変わったかというと、何も変わっていない。ただ、猛烈に恥ずかしかった。恥ずかしいという記憶だけが残っており、周囲の反応は覚えていない。たぶん、スルーされたんだろうと思う。
それでわかるのは、実は周囲も「明るい私」を望んでいなかったということである。実際、クラスみんながパリピだったら困る。
続きは記事をご覧ください。
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そんな中で「暗いヤツ」と正面切って言われるのは、まぁまぁキツイ。もっと明るく振る舞ったほうがいいんだろうなと思った。
それで、瞬間的に無理してみたことは何度もある。それで何か変わったかというと、何も変わっていない。ただ、猛烈に恥ずかしかった。恥ずかしいという記憶だけが残っており、周囲の反応は覚えていない。たぶん、スルーされたんだろうと思う。
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