「あの子の顔見た?」

 同級生の2人がクスクス笑っている。

 小学校高学年の頃だ。同級生の女の子同士で、目くばせしながら笑う様子を見て、いつも居心地の悪さを感じていた。
だが一人、正義感の強いサバサバした女の子がいて、「間違っている」と思ったことは面と向かって言っていた。たとえば、あえてイヤミなことを言う人に対して「あなた、どうしてそんなことを言うの? ○○ちゃんは傷ついていると思うよ」とストレートに言うのである。

 その場はシーンとして、「確かにそうですね」という雰囲気になる。だが、裏では「出たよ、あいつの正義感」みたいな感じで笑っている。

 同級生たちが特別に陰険なわけではなかったし、正義感を笑う子たちも普通の子だった。正義感を振りかざす強い子に、傷つけられたと感じていたのかもしれない。正義とは難しいものだと感じた。

友だちを守りたくてついた嘘
 そんなことがあったからかどうかは忘れたが、あるとき私は嘘をついた。

 友だちが「トイレのタンクの水を飲んだことがある」と言って、周りの子たちに「えー! ありえない」「やばい」と騒がれたときだ。友だちは「どうしよう、変なことを言ってしまった」という顔をしていた。それでとっさに、「私もあるよ!」と嘘をついた。トイレのタンクの水を飲むというのがどういう状況なのか、よくわからないままに。

 へぇー。変なの。普通飲まないよ。

 みんな微妙な顔をしていたが、とくにつっこまれずにこの話題は終わった。

 私は友だちを守りたいと思ったのだったが、嘘をついたことがトゲのように心に刺さってしばらく抜けなかった。

 嘘をつくのは悪いことだと教わってきたからだ。

 まだ子どもだった私たちは、何がいいのか悪いのか、決めきれずに迷っていた。でも、いまよりピュアな感性で判断していたような気もする。大人になって、もっと簡単に嘘をつくようになったし、「正義なんて人によるよね」と言って都合のいい正義をかかげたりしている。

 ストア哲学者のエピクテトスは、「善悪は自分の内に求めよ」と言っている。

 これが人生において何よりも重要だという。



続きは記事をご覧ください。

ミスを「間違っている」と指摘するとムッとされる。では、感じのいい人はどう言う?



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